次回ライブ

■次回ライブ■
2017年2月10日(金) 三軒茶屋グレープフルーツムーン
[tomorrow's planet]

出演:白倉新之助と踊る子守唄/MONGREL

open:19:00 / start:19:30 前売¥2500(D代別途)

2017年3月18日土曜日

アルバム「ばからし」の遅すぎる予告編動画

京都に来ています。
明日3/19は京都木屋町Deweyで踊る子守唄との演奏。

KEEWO白倉新之助と踊る子守唄(東京)キタヲカフミヒト&ハウルフィッシュ

こんな3組です。
主催のキタヲカさんバンド、呼んでもらって感謝と同時に、ずっと楽しみにしていました。ミゾミゾします。
良い夜になるよう、精一杯歌いましょう。

そして、最新アルバム「ばからし」から、ようやく少しずつですが、
音素材をアップしてみました。
色々と思うところあって、出したばかりのこのアルバムを封印しようかなとかもじもじしていたんですが、これまた色々あって、ちゃんと自信を持ってこいつを世に出して行こうと思うに至りました。

もうリリースしてるのに、遅すぎる予告編です。
どうぞ「ばからし」をよろしくお願いします。


白倉新之助と踊る子守唄 「ばからし」teaser -しらかんば-


白倉新之助と踊る子守唄 「ばからし」teaser -静止画-



白倉新之助と踊る子守唄 「ばからし」teaser -町の音楽隊-



白倉新之助と踊る子守唄 「ばからし」teaser -創作ダンス-




白倉新之助と踊る子守唄 「ばからし」teaser -五月のある晴れた日-




白倉新之助と踊る子守唄 「ばからし」teaser -スタートの位置-


2017年1月23日月曜日

白倉新之助と踊る子守唄×MONGREL 2マンショー!

昨年色々と活動させてもらいました「白倉新之助と踊る子守唄」ですが、2017年からまた少しずつ形態を変えながら進んで行こうと思っています。その第1弾であり、かつ第1章の終わりとなるのが、2/10に行われる2マンライブです。

[2/10(金)tomorrow’s planet]
出演 :
白倉新之助と踊る子守唄
MONGREL
会場:
三軒茶屋グレープフルーツムーン


この日はギターに鈴木真という男を迎えて演奏してみます。普段はジャズ、フラメンコ畑で演奏している彼の要素が加わることで、どんな変化が起こるのかとても楽しみです。

そしてChrisはこの日のライブを境に、今後基本的にはicon girl pistolsの活動に専念します。今まで忙しい中2つの活動に付き合ってくれてどうもありがとう。

なんだか2017年になってicon girl pistolsが急に活発になってきました。こちらは乞うご期待ですが、2人共が掛け持ち活動していると捌ききれないスケジュールになってきそうなので、Chrisのigp専念はやむを得ない判断です。東京で彼のボンゴプレイが観れるのは、2/10が最後かも知れません。是非お見逃しなく。

Chrisの東京ラストボンゴ!?


対する2マンの相手は、前々からお手合わせを希望していたMONGREL。
turu君というシンガーソングライターでもありアニメイターでもある才人とは、2015年のsakata guitar nightで本格的に知り合いましたが、何処と無く自分に似ているところがあるように、勝手に思っていました。

90年代の東京で生まれ育った僕らは、意識的でなくとも、膨大な量の情報と選択の機会にさらされてきました。インターネット環境が整備された今なら世界中で同じことが起こっているかも知れませんが、少なくとも我々のユースの時代には、東京で育つか、地方で育つかという違いは、価値観の形成にかなりの差異があったと思います。

当時の東京カルチャーを振り返ってみると、セレクト、サンプリング、それから、スタイリングということだったような気がしています。DJ文化が海外から流入してくる中で、「セレクトする」という行為自体に価値があり、それがクリエイションにもなり得るという時代だったのです。

だから我々の創作は時に、スタイルを選択する事から始まります。サンプリング(実際に音をサンプリングするということに限らず、概念的な)された1つのアイディアから創作することもあります。
メロディーや歌詞が絶対君主であり、他の要素が従属するものであるという関係性ではなく、リズムも、サウンドも、メロディーも言葉も、パフォーマンスも、もっと言えばアートワークやコンセプト、発表方法さえも、創作に関する全ての要素が等しく1:1:1:1…という関係性になっているということ。

これは実に90年代の都市型カルチャーの特徴だと思いますがこうした価値観は時に、地方から叩き上げられた圧倒的な個の力に打ちのめされる瞬間もあるという…まあそれは余談です。

実際にturu君が自分と同じかどうかは分かりませんが、MONGRELの演奏を見て、それからturu君のパフォーマンスを何度か見て感じた事は、そんな事でした。

つまり、お前の才能、結構俺とかぶってんぞコラ、ということです。ステージ上でかぶってるハットも、俺とかぶってんぞコラ、ということです。
MONGRELの帽子


踊る子守唄の帽子

つまり、真っ向勝負ということにワクワクしています。

そして皆さんにお伝えしたいのは、僕らみたいな人間の真っ向勝負は、多様なスタイルの打ち出し合いということになると予想されるので、一瞬も退屈する事はないと思います。
色んなキャラが同じゲーム内に登場する、夢のクソゲー「ファミコンジャンプ」みたいな、そんな夜になりますように。

是非、遊びに来て下さい。
Facebookイベントページはこちら
https://www.facebook.com/events/1851615908415530/?ti=icl

[2/10(金)tomorrow’s planet]
三軒茶屋グレープフルーツムーン
出演 :
白倉新之助と踊る子守唄
MONGREL
OP19:00/ST19:30
前売¥2500(D別)
予約
info@grapefruit-moon.com
または
各アーティスト

2017年1月4日水曜日

「グッバイドーナツ自由の女神」の自己分析

先日友人のT君と話していて、彼が「グッバイドーナツ自由の女神」という曲の歌詞について謎解きを披露してくれた。
そこで、私が曲中のある一節について簡単に説明をすると、彼は一つ分かってスッキリしたとのこと。

私の歌詞はどうやら難解なことが多いらしいが、私にしてみれば、歌詞=詩であり、秘密の暗号のようなものなのである。
しかし、なぜ暗号を使うのだろうか。そのままストレートに言えばいいものを。

思うにきっとそれは、「言葉そのもの自体の美しさ」を残したいと思っているからなのだろう。
これは私の個人的な考えだが、芸術と呼ばれるものは、その背景に込められた「意図」よりも、「そのもの自体が美しい」ことが大事なのではないだろうか。
ピカソが『ゲルニカ』という作品を描いた時、その裏には非常に強い動機があったことは周知の事実だが、多くの人の心にインパクトを与えたのは、その作品自体に強いエネルギーがあり、美しかったからなのだと。
逆に、意図やメッセージだけが剥き出しで存在しているもの、それは「芸術」ではなく「批評」と呼ばれる種類のものではないだろうか。

自分がやっていることを「芸術」だと思っているつもりはないが、私が学び、共感してきた表現方法は、そんな風に作者の「意図」が全く違う美しいもの(またはグロテスクなもの)に形を変えた、「そのもの自体に価値がある」と思えるものだった気がしている。

自分の詩に関して、ひどく簡単に言ってしまえば、「言葉が美しければ意味は後からついてくる」と考えている。
実際、自分で書いた前の行の言葉や、直前の音(「ん」だとか「あ」だとか)に導かれるように言葉が出てくるということは幾度となくあった。
というか、殆どがその作業の繰り返しである。つまり、連想ゲームだ。

しかし、この連想ゲームこそが、作品作りの肝なんじゃないかなと思ったりもする。
常に直前の自分に反応し続けていく、自分の上に自分を積み上げていったり、自分の古い皮膚の上に新しい皮膚を重ねていったりする。
これ即ち、人生と同じことなのではないだろうか。(私、素敵なこと言いました。)

ところで今日は、こんなことをつらつらと書いておきながら、冒頭のT君をもう少しスッキリさせてあげるためにも、下記の曲の自分なりの解釈について記してみたいと思っている。

自分で作ったものなのに「自分なりの解釈」というのは少々おかしい感じもするが、そうとしか言いようがない理由は、これまでお読みいただいた内容でお分かりいただけるかと思う。

恐らくこんな風に自分の詩を自分で分析して人目に晒すことなど、今後することはないだろうが、なんとなく、一つくらいいいのかなと思ってやってみることにする。

------------------------------------

「グッバイドーナツ自由の女神」

悲しい運命ね
あなたは先の事を知り過ぎているわ
未来を予定通り
過去に塗り替えて生きていくだなんて

悲しい体温ね
あなたの中は熱い雨が降るのに
外側は冷たく晴れ渡ったよう
真冬のベッドシーツみたい

空港に住んでる僕に手紙をよこさないでよ
例え届いても僕はそいつを読みやしないよ

その子は檻の中に閉じ込められて
苦しい、苦しいと言う
その娘は彼を檻ごと抱きしめ
もういいよ、もういいよと言う

二人は固く結ばれて
愛と引き換えに旅を終えた
日に焼けた鞄の中に縫い付けた
日付変更線

自由の女神
子守唄でも聞かせてくれよ
両手の荷物を脇に置いて
さあ
柔らかい胸の谷間に僕を閉じ込めてくれよ

さよならさ
また会う日まで
グッバイドーナツ
また会うその時まで

空港に住んでる僕に手紙をよこさないでよ
例え届いても僕はそいつをビリビリに破いて
あなたを見送る紙吹雪にするよ

さよならさ
グッバイドーナツ
また会う日まで
自由の女神

さよならさ
また会う日まで
グッバイドーナツ
また会うその時まで

------------------------------------


ここは、現代に生きる一般的な人々の生活を指している部分だという気がする。
多くの人が明日、来年と先の予定を(無意識にでも)立てて、それをこなして生きている。
未来は予め決められていて、それを丁寧に過去に置き換えていく作業であるかのように。

ここも、話しかけられている対象は①と同じだろう。
我々の内に秘めている「熱さ」は大抵雨のように、それが日常的であっては厄介すぎるものかも知れない。
だから私たちは日々それぞれの想いを隠し、何事もないかのように晴れ渡っている。

「空港に住んでる」というのは、振り返ってみて思えば、「いつでも旅に出られる瀬戸際にいるのに、いつまでも旅に出ない人」のメタファーだという気がする。
何処か遠くの国にいる誰かから手紙が届く。でも「空港に住んでる僕」は意地を張ってそれを読もうとしない。
読めばきっと旅にでなければいけなくなるから。

ここで一組の男女が登場する。この男の子は③で空港に住んでいた彼かも知れないし、もしくはまた別のケースかもしれないが。
この男の子は檻の中から出たくても出れずにいる。
しかしその恋人だろうか、女の子はそんな男の子の状況をそのまま認めて、それでいい、それ以上苦しむ必要はないと語りかける。

ここは④の話の続き。男女はお互いの現状を認め合い、それを許し合うことで愛を深める。
しかし現状を受け入れてしまうということは同時に、旅することを止めてしまうことを意味していた。
「日に焼けた鞄」は旅をしていた時の象徴だったが、そこに日付変更線を縫い付けてしまう=もう鞄は役目を終えて、2度と日付変更線を越えるような旅をすることはなくなってしまった。

自由の象徴である「自由の女神」に抱かれて眠るとはどういうことだろうか。
きっとそれは「自由になる」ということでは無いような気がする。
誰か特定の人に受け入れられ、それに安息を得るということは同時に、そこで行き止まりだということのように思う。
それが自分でも分かっているからこそ、この箇所の話し手は「閉じ込めてくれ」という諦めにも似た表現をしているのだろう。

「ドーナツ」というのは、ここでは「閉じているもの」の象徴として使われている。
出口がなくただ循環していく毎日、上昇することも下降することもない日々、またはいつまでたっても変えることのできない環境など、そういったもの。

つまりこの詩のテーマは、抜け出せなくなってしまった循環に別れを告げて、自由への旅を再開するということにあるのではないだろうか。
「また会う日」とは、いつか本当に旅することを止めた時、またはその人生を終える時なのかも知れない。

「空港に住んでいる僕」は、空港に留まることをもう止めようとしている。
彼は、自分が新しく旅立つということは、ひとつの別れを越えるものであると理解したのだった。

旅することを諦めていた人物は、遂に現状から飛び出すことを決意する。
それは、自分を100%認め、優しく包んでくれていた「自由の女神」という、保証された安全にさえも、別れを告げることだった。


* * *

以上が、この詩に対する作者である私自身の解釈(後付け)である。
とはいえ、作者自身でさえ、これが正解であると言い切ることはできない。
何故なら前半でも書いたように、実際に言葉が生まれる時には、自分でこうした「意図」を持っていないからである。
単に、「日に焼けた鞄に縫い付けた日付変更線」とか「空港に住んでる僕」などの言葉がどこからか出てきて、それがそこにあるべきであると感じたら、そこに残っていくといった具合。それが自分にとって詩を書くという行為である。

しかしながら、後付けとはいえ、私がこの詩の中で、ここはこういう意味であると明確に限定したい部分が一つだけある。
それは「グッバイドーナツ」という言葉。
この言葉は歌の旋律に引き寄せられるようにどこからか現れたものだったが(これだから歌詞というものは面白い)、私はこれを啓示的に「循環から抜け出すこと」と受け止めた。

冒頭のT君はこの言葉を「心に穴があいた状態」と解釈してくれたようで、勿論そのように受け取ってもらっても一向に構わないのであるが、私自身がこの言葉を使う時には、上記に書いたような意図をもって使っているということだ。

いつまでも同じところをグルグル回っているようではいけない。
同じ人達だけで閉じているようではいけない。
クリエイティビティの面でも同じところにいてはいけない。

循環から抜け出していくこと。
我々を閉じ込めてしまいがちな循環から抜け出すこと。
世界は常に輪の外、ドーナツの外側にあるのだ。


私がGOODBYE DONUTS RECORDSというレーベル名を付けたのには、そんな「意図」があったということ。これを、おそらく2017年最初の記事になるであるろうこの文章の最後に記しておきたいと思う。



2016年10月14日金曜日

白倉新之助と踊る子守唄「ばからし -BAKARASHI-」発売!!



新作アルバムを発売しました。
今回は、随分久しぶりに、編曲をちゃんとやった。幾つもの音が折り重なっていくその様が、楽しくて仕方なかった。
ああ、音楽を作りたかったんだと、そう思った。
アルバムタイトルにも、中の曲自体にも、去年ソロアルバムを出してからの1年間の出来事、想いが反映されている。そうなってくると、それより以前に作った古い曲にも、そういうテーマが重なるようで不思議である。
出来上がったものを聴いて、2006年にリリースした、「quizmasterの偉大な建築」その続編にあたるような作品だと感じた。ちょうど10年経って続きのようなものが出来たことは意外だったが、今回は建築ではなく、「生命の滑らかな重なり」という感じがしている。
最近、生命というものを、強く意識するようになった。
と同時に、以前よりももっと純粋に、私は音楽が好きになってきている。
ところで、アルバムジャケットのイラストはアーティストのAmy depanaさんに描き下ろしていただいた。この絵を手元に置いておくためだけでも、アルバムを買う価値があると思いますよ!


白倉新之助と踊る子守唄
「ばからし -BAKARASHI-」
GBD-006
10月14日発売(¥2000)
1 しらかんば - Shirakanba -
2 湖 - The Lake -
3 町の音楽隊 - Players of the Town Band -
4 5月のある晴れた日  - One Sunny Day in May -
5 創作ダンス  - Creation Dance -
6 銀色雲 - Silver Cloud -
7 悲しい便りの終着点 - Conclusion of a Sorrowful Correspondance
8 静止画(熱海駅)  - Still Image (Atami Station)
9 誓いの歌  - An Oath -
10 スタートの位置  - The Starting Postition -
11 光になるのよ~ばからしオーケストラ~  - Become the Light ~ Bakarashi Orchestra
12 車道に鐘楼の音が響く - The Bell Tower Echoes in the Street -

2016年7月23日土曜日

本当の事はいつでもそのままあるっていうから

白倉新之助弾き語りの世界展、終了しました。駆けつけてくれたみなさん、本当にありがとうございました。22年ぶりの再会となる、中学の同級生の来訪もあり、なんだかんだいつの時代も友人に恵まれてきたんだなと思う。

弾き語りを今回で少しお休みするというのは、前向き、後ろ向き両方の意味合いがある。

ポジティブな方は、台湾でやったライブで、またバンドをやることの可能性を感じた、ワクワク感を再び得られたこと。昨日のライブもメンバーが遠くから観に駆けつけてくれたり。歳をとっていくとみな仕事に家庭に忙しくなりバンドなんかやれなくなっていくものだが、これまた恵まれたことに、自分の周りには結構な真剣度でまだ付き合ってくれる人がいる。ああ、出来るうちにこれをやらないのはいかんなと思ったわけだ。

ネガティブな方は、昨日も演奏しながら感じた瞬間があったが、自分には到底1人で出来る力がないということ。曲のアイディア、言葉のアイディアはどんどん出てくるが、こと演奏に関しては、1人で完結させられるような力は持っていないと感じる。
この2年間くらいで出会った、素晴らしい1人バフォーマー達には、たった1人でその瞬間世界を変えようとする凜とした空気があった。それが出来ているか出来ていないかは関係なく、覚悟と度量といったようなものを見て取れたのだ。
ところが自分には何故だか、1人でやるときに闘争心といったものが湧いてこない。
その場を絶対に食ってやるというような気持ちが、1人でやる時に起こってこないのだ。

それはもしかしたら、弱さなのかもしれない。数年前の自分はそれを弱さだと思って、立ち向かうべく1人で歌い始めたものだった。でも今は、弱くたってなんだっていいから、ただ喜びをシェアしたいと思う自分がいる。自分だけでは到底できないようなことを、みんなの力を借りて実現したいという気持ちがある。

人は1人で生まれて1人で死んでいく、というのはよく言われることだが、だからせめてその始まりと終わりの間の時間は、誰かに頼らせてもらいます、そういうことなのだ。

弾き語りの場を主戦場の一つとすることはやめるが、そんな気楽な気持ちでだったらまたできることもあるかも知れない。
あ、そうか!弾き語りは今の自分にとっては個人的な趣味なんだ!今それが分かったように思う。なんの責任感も使命感もなく、趣味で弾き語りしてる、そんなやつでも良かったらこれからも誘って下さい。歌うことは、好きなんです。

白倉新之助弾き語りの世界展
2016/07/21 亀有キッドボックス

1 ヘッドホンを外すべき時 
2 おばあちゃんのお話を聞きましょ 
3 小さな想い 
4 渾身の世界
5 段ボールと殴り合い 
6 君の力を信じよう
7 ピアノガールナイチンゲール
8 5月のある晴れた日 
9 アクロスザユニバース(The Beatles 和訳カバー)
10 Jealous Guy(John Lennon)
11 ギブス(椎名林檎)
12 嘘っぱちナポレオン

13 長い坂の絵のフレーム(井上陽水)
14 夏の終わりのハーモニー(井上陽水&安全地帯)
15 Be Together(TM Network)
16 首輪 
17 モダンライフへようこそ
18 グッバイドーナツ自由の女神
19 雨の日の女 
20 小さなあなたの部屋 
21 熱狂 
22 町の音楽隊 
23 わたしの成るべきあなた 
24 ライオンのように美しく




2016年7月14日木曜日

白倉新之助弾き語りの世界展


「白倉新之助弾き語りの世界展」

2016年7月21日 
亀有キッドボックス 19時半開演 ¥2000(2ドリンク付き)

突然の弾き語りワンマンライブです。

この日をもって、弾き語り活動をしばらく自粛しようと思っています。完全にやらないわけではないですが、子守唄の活動に集中したい気持ちです。

カバーもやったり、適当にくっちゃべったり、リラックスした雰囲気でやりたいと思っています。

是非遊びに来てくださいね。

お店、10人も入ったら満員ですから。

2016年7月2日土曜日

台湾ツアー2016無事終了のご報告

台湾ツアー2016が終わりました。
まずはもう一度、小雷&Chema結婚おめでとう。僕たちは地下社會を失ってしまったけれど、その精神を引き継いだ2人の生きる場所が、いつでも地下社會になり得るだろう。彼らが用意したパーティーの雰囲気、彼らを祝う人々の顔を見てそう思いました。
小雷とChemaのカップルが素晴らしいのは、価値観の違いをぶつけ合いながら、それを楽しむように結局はお互いを尊重しているところ。結婚とはお互いの色を上手に溶け合わせることではなく、混ざり合わない色の鮮やかさを楽しむことなのかもしれません。
誰よりも鮮やかな、混乱した色調の2人。ずっとその、目がチカチカするような人生を楽しんでいけますように。おめでとう!




※ ※ ※

11年前に初めて台湾を訪れて、台湾の友人と出会って、僕は仲間を想う気持ちの強さを教えて貰ったと思っています。もしかしたら言葉が満足に通じ合わないからこそ生まれた絆なのかも知れないけれど、想いというものは確実に伝わるものだと。
台湾にいる沢山の仲間を少しずつ紹介してもらい、こちらも少しずつ日本の友人を紹介し、絆の輪は広がっていきました。
そうやって世界のどこであっても、どんな人種であっても、出来る限り同じように絆を深め広げていくことを、僕はやっていきたいと思った。
そう、自分にはスペシャルな力は何もないけれど、スペシャルな人と出会う幸運にはとても恵まれていると感じるのです。


※ ※ ※

数年前に、夜ハ短シ、えあどぐべ、その仲間達に出会って痛烈に感じたことは、「嘘やごまかしは通用しないぞ」ということでした。
表現の方法は違えど、彼らがもっている個性と美しさは、日々を暮していく中で本当に感じたことを、本当に自分のままで外に発していくというところにあります。
器用さ、不器用さは関係なく、強さ弱さも関係なく、本当のことである美しさ、それを信じ抜くことの気高さがそこにはあります。
飾らないことが素晴らしわけでは無い。表現には装飾も演出も十分に必要です。
ただし、それが自分を他人に「良く見せる」ための演出ではなく、自分の信じることが受け手に届くための演出でなければいけない。
自分がどう思われるかなんて関係ない。ただし、自分が出会ってきた素晴らしいことだけは大切にしたい。
それを表現するのに少しの嘘やごまかしの入り込む余地はないということです。
夜ハ短シ@台北APA MINI 

 えあどぐべ@台北APA MINI 

 えあどぐべ@台北APA MINI 


「昔よりもステージでリラックスしているように見えた」と最終日のパフォーマンスが終わった後に、11年前からサポートしてくれている詩琪に言われました。
以前の僕は、自分の音楽以上に、自分自身を良く見せようとすることに必死だったのだろうと思います。
「歳を取ったからだよ」とその時答えた僕は、確かにそれも一因としてあるけれど、きっと僕を変えてくれたのは、夜ハ短シやえあどぐべ等、そうした真っ直ぐな生き様との出会いだったんだろうと思っています。
「昔よりもステージでリラックスしているように見えた」と詩琪

※ ※ ※

人は日々変わっていくものではあるとしても、人生の転換点というのは強烈な出会いの中にこそあるものなのでしょう。
間違いなくその強烈な出会いであった、台湾の仲間達と、Goodbye Donuts Recordsに参加してくれることになった音楽仲間達。
大切なことを教えてくれてありがとう。
皆を一堂に会して一つに繋ぐようなイベントを、台湾の地で企画してみんなが笑顔になれたこと。
僕にとって、これ以上に幸せなことはないんじゃないだろうかと思える、そんな夜でした。
夜ハ短シ、えあどぐべ共に、僕が今まで見た中で最高のパフォーマンスを披露してくれました。ゲストで参加してくれたDuda Deportivaの演奏も最高にクールだった。
集まってくれた台湾の人々にもそのパフォーマンスが真っ直ぐに響いていたことが、とても感動的でした。
それは、そこにいたみんなが、お前のやってきたことは間違っていないと言ってくれているような、強い肯定感のある感動でした。
Duda Deportivaの演奏も最高にクール!

※ ※ ※
それから、こちらも本番になっていよいよ最高の演奏をしてくれた「踊る子守唄」の面々に感謝を。
最終日のイベントを進行しながら、Goodbye Donuts Presents=踊る子守唄の面々の力が実行させてくれたものなのだなと感じました。
昼のイベントが押したことで、リハーサルの時点ですでに1時間遅れというスケジュールで動き始めた最終日のイベント。
さらに、あるはずだった機材がない、届いても電源が入らない、などなどその後の通常進行もままならないような状況。
そんな状況で機材関連をすぐにサポートしてくれる白石経の存在があり、英語でのコミュニケーションが必要であればクリスがいてくれる。
真野敬史は常にドラマーとPA小野寺さんとの間を行き来しつつ、短い時間でも各出演者の表現したい音が出せるように、ずっと相談して音作りをし続けてくれていました。(PAを、昔からお世話になっている小野寺さんが担当してくれたのも有り難かった。音は最高だったし、日本語も現地語も自在に操れる彼でなければテルミンのあるバンドや、キーボード2台にベース2人いるバンドなど、こんなトリッキーなライブを台湾でやることは出来なかったでしょう)
ゴールドフラッシュは出発日前日に注文した印刷物諸々を寝ずに仕上げてくれて、無事に台湾のみんなの手元に届けることができました。高津ダイちゃんは、そもそも13年前から僕の心の支えです。
白倉新之助と踊る子守唄@台北APA MINI 

                                                                        白倉新之助と踊る子守唄@台北APA MINI 

                                                                   白倉新之助と踊る子守唄@台北APA MINI 

Goodbye Donuts Records販売ブース

今でも僕に付き合って音楽を鳴らしてくれている彼ら。
出会った時期はまちまちですが、音楽だけでなく他の能力にも優れ、人間性も尊敬できる最高のチームです。
勿論、今回台湾に来れなかった日本の仲間達、icon girl pistolsの面々、ファミリー達の支えにも大感謝。
そしてなにより、3日間のコンサート各会場に集まってくれた皆さんに心からの、謝謝!
2016/06/26 Goodbye Donuts Presents Taipei Concert 2016 Final
白倉新之助と踊る子守唄
1、熱狂
2、地下社会生活者
3、創作ダンス
4、ライオンのように美しく
5、町の音楽隊
6、スタートの位置
7、光の輪
8、ふきのとう
(encore)カムカムトゥゲザー