次回ライブ

■次回ライブ■
2017年2月10日(金) 三軒茶屋グレープフルーツムーン
[tomorrow's planet]

出演:白倉新之助と踊る子守唄/MONGREL

open:19:00 / start:19:30 前売¥2500(D代別途)

2015年10月27日火曜日

The Velvet Teen




Chrisに誘われてThe Velvet Teenの来日公演へ。

こちらのヴェルヴェットはアンダーグラウンドな香りは撒き散らさないものの、すこぶる素晴らしいバンドだった。

バンドに天才は要らない。ただ音楽への情熱と、互いの信頼があればいいのだ。バンドは3年くらいでパッと散るか、さもなくば一生やり続けるか、そのどちらかだ。

アメリカはこういう普段着なのにスペシャルなバンドをそろりと生み出してしまう。これまでもこれからも、彼らはボロのバンで一生をかけて世界を旅するのだろう。

色々な国の色々な人種が、同様にエレキギター、ベース、ドラムを使ってバンドをやっているという事の不思議を、月曜の新代田にアメリカのかっこいいバンドが演奏するのを見て考えました。

バンドはいい。バンドはかっこいい。バンドは青春であり、夢であり、それこそ結束であり、時に惰性でもあり。バンドは情けない。バンドは白い目で見られることもある。でも赤い目でも黄色い目でも見られることがある。

つまりバンドはいい。
バンドはかっこいい。
先生バンドがしたいです。
パンが無ければバンドをすればいいじゃない。
生まれ変わってもまたバンドに生まれたい。
バンドはいい
バンドはいい
バンドはいい・・

クリスです


                      (撮影:まっち)
そんな10月26日、おーたむん。

2015年10月17日土曜日

絶望のち笑顔

下北沢440、お集まりの皆様ありがとうございました。

前にも書いた通り、あまりにも衝撃的な音楽を放つ山口進、えあどくべとの共演。半年前だったらきっと押し潰されていたでしょうし、ライブ自体を断っていたかも知れません。

これは中々リスナーとして体験できるものではない、演者の特権ですけれど、共演してみないと分からない凄さというのがあります。
同じ音響、同じお客さんの前で、どれだけのパフォーマンスをするかという点で、観ているだけでは分からない自分との相違点を気付かされます。

勿論それは音楽の勝ち負けということではありません。音楽には勝ち負けはない。ただ、自分に嘘をついていない表現をできているかどうかという「純度の高さ」においては、同じ領域に達しているかどうかの差が明白です。観ている方がどう思おうと、演者本人はそれに確実に気付いていますし、そこに鈍感な人はそこまでだと思うのです。

今自分の表現の純度が理想に届かなくたっていい。けれど、理想までどれくらいの距離があって、何をしなければならないのかを、我々は毎回痛感しなければならないのです。

山口進もよよよ_ゐ率いるえあどくべも、きっと何度もそういった瞬間を超えて純度を高めてきたのでしょう。僕は僕なりの道筋でそれをやってきたつもりでしたが、2、3年前に出会った彼らは、自分のやってきたことの遥か上のレベルで、もっともっと純粋に歌を、音楽を愛していた。というよりも、信じていた。

僕が前に書いたように音楽を辞めようかと思わされたというのは、そういう差を痛感させられたからでした。音楽のクオリティ、演奏の上手い下手は関係なく、音の純度の差を。

しかし、自分はこのような性格で良かったなと思うのは、その差を感じて一旦絶望はするものの、翌日にはそこに向けてチャレンジしたくなるというところです。10代最後に出会ったレディオヘッドにさえ、20代で衝撃を受けた遠い遠い街のボブディランにさえ、僕は絶望のち笑顔だった。それがこれまで音楽を続けられている自分の、幸運な才能です。

自分発信の強烈な天才ではない事は自覚しつつ、衝撃的な影響を受けた時に、そこを超えようとしてしまう性質が僕を前へと駆り立てます。その事にはきっと才能があるんだと思います。

出会えた目標が高ければ高いほど、自分は影響されて成長できる。そんな環境に自分を迎え入れてくれた仲間達、迎え撃ってくれた仲間達に今日も感謝。

山口進の歌が持つ、人の深層を震わせるような強さも、えあどくべの音楽がもつ、人生の無限の美しさも、僕は見せ付けられて、そこを超えていこうと思う。その先に彼らがまた進むなら、またもっと、前へ。

絶望のち笑顔。

ありがとう。人生は、素晴らしい出会い。

初対面ということで思い入れという意味で言及できませんでしたが、Gauche.さんも凄く素敵だった。若いのに素晴らしいミュージシャンは沢山いますね。でも、多分純度はもっと高められるでしょう。さあ、競争だぜ。

2015/10/16 下北沢440
白倉新之助と踊る子守唄
※真野敬史(drums)/クリストファー・オライリー(Bass)/Miho(Accordion) & Satsuki(clarinet) from Dead Sea Dropouts

1 ヘッドホンを外すべき時
2 太陽を待っている
3 おばあちゃんのお話を聞きましょ
4 ふきのとう
5 ライオンのように美しく

2015年10月9日金曜日

10月16日、下北沢440の夜、予告の巻!

今月16日は急遽お誘い頂きまして、初めて下北沢440で演奏させてもらいます。
「白倉新之助と踊る子守唄」で出演。

今回のメンバーは、真野敬史、クリストファーオライリーのお馴染みのリズム隊、それに加えてアコーディオンにMiho、クラリネットにSatsuki、2人の女性プレイヤーをお迎えします。

2人はDead Sea Dropoutsというジプシー音楽のバンドをやっています。ベースもいない、ほぼインストゥルメンタルのエキゾチックな音楽ですが、立派なダンスミュージックとして成立するのが、彼女達のやっているクレズマーという音楽の凄いところです。

今回はそのエッセンスをうまく拝借して、ミクスチャーな世界を作れたらなと思います。

共演は初めましてのGauche.さん。
それから山口さんちの進さん。浅草で久々に弾き語り対決した時は圧倒されました、theヤクザボイス。
そして、from山梨の天才グループえあどぐべ、です。

重くなるのはなんか照れるのでさらっと言いますが、進さんにもえあどぐべさんにも、かつて一回は完全に打ちのめされたことがあります。もう音楽辞めた方がいいかもなと思わされるくらい素晴らしい瞬間を見せつけられたことがあります。それ程に特別です。

あいつら結構巷ではよくそう言われてるんで、これ以上あんまり言わないようにしようと思います。

それで結果、僕は音楽辞めたりしてません。同じように素晴らしい感動的な瞬間を、自分にもまだ作れると思っているからなのさ。

お待ち、してます。

10月16日(金) 下北沢440  
"鳴リヤマヌ夜"

Gauche.
山口進(夜ハ短シ)
白倉新之助と踊る子守唄
えあどぐべ

open19:00 / start19:30
ad¥2,200- / d¥2,500-
(+1order)

2015年10月6日火曜日

FMヨコハマ放送その後の雑談です

10月5日深夜26時、FMヨコハマさんでソロアルバムよりタイトル曲「ふきのとう」をオンエアーしていただきました。

その放送を聞いてくれた人がどれくらいいるのか分からないけれど、聞いてくれた人はご存知の通り、ちょっと自分の父親方ルーツの話になってしまった。

別に封印しているわけでもないし、プロフィール欄に書いてしまったからそれがピックアップされるのは当然のことで、当然ラジオ局側に文句も無い。ただ、別に大した話じゃないからプロフィール欄に書かなきゃ良かったなと思っただけのこと。書いたから面白がって取り上げてくれたのかも知れないしね。

ラジオパーソナリティの人が話の最後に「音楽の話があんまりなくて不本意だったかもしれないけど」と言ってくれたけど、自分の楽曲を取り上げてくれて、オンエアーしてくれるだけで有り難いことです。どんな話だって不本意なんてことはありません。

でもまあ、問いかけに対して心にも無い相槌をしていた自分を思い返すと、少々後悔している部分はあります。自分の血縁関係がどうであっても興味もないし、音楽に血なんて関係ないし、全部自分が出会った人や物のおかげで自分で作ってきたものです。そう答えるべき瞬間があったんじゃないかな、なんて。

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下記に引用したものは確か6年前くらいにどこかに書いた記事。昔やっていたバンドのブログだったかどこだったか。探してもweb上には転がっていなかったけど、原稿があったので再掲載。(今読み返すと、もう良い歳になってる6年前とはいえ、若気の至り的側面が見られますね。人間いつになってもそんなもんですかね。)
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昨年末に祖父が亡くなった。母方の祖父だ。
俺にとってたった一人の祖父であり、俺の名付け親でもあり、もはや顔も覚えていない俺の父親に代わってキャッチボールをしてくれたのもこの祖父だ。
大正生まれの92歳だったから天寿を全うしたと言えるのかも知れない。
俺は彼の為に葬式で歌を歌った。

たった一人の祖父と書いたが、俺という人間が存在している以上、母親と父親がいて、その両親が存在している以上、そのまた親がいる。だから当然家系上の祖父はもう一人居る。俺は会ったことがないけれど。

俺のもう一人の祖父は本名を有島行光といい、森雅之という芸名で活躍した昭和の俳優だ。そしてその父、つまり俺の曾祖父にあたる、は有島武郎というこれもまた名の知れた小説家である。その事実を母親から聞かされたのは小学校4年生くらいの時で、どこかのデパートの一角で行われていた(ように思う)芥川龍之介展に連れられて行った際、その交遊録に登場した有島武郎を指して説明されたのであった。

幼稚園を有島新之助として通った俺が突然小学校に入る段階で明日から白倉新之助になります、と告げられた時、俺はすんなりとはーい、と言ったように思うが、それは恐らく有島の血を引く俺の父親と母とが俺の記憶の根付く前段階で離婚しており、その後小学校に入学するまで4年間くらいをずっと白倉の家で過ごしていたからだろう。「はい、しらくらです」と電話を取るように言われていた俺は寧ろ、幼稚園で有島と呼ばれることに疑問を覚えていたのかも知れない。その頃の曖昧な状況を幼い自分がどう捉えていたのかはそれこそ曖昧なのだが。

自分達の離婚について、母親から詳しい説明が為されなかった以上、俺からそれを踏み込んで訊ねることは無かった。きっとそれを説明する必要はないと、自分の子育てに自信があっただろうし、俺もそれを聞く事を求めていなかった。母が父親の分も受け持って俺を育ててくれたお陰で、今まで一度も、本当に一度足りとも、父親に会いたいと思ったことは無いし、幼少時に父親について誰かに訊ねられた際も、僕の父親は居ませんと答えるのになんの躊躇いも寂しさも感じなかった。きっと母だけでなく、同居していた祖父や祖母、そして親戚の面々が俺に寂しい思いをさせないように育ててくれたからだろう。だから俺は小学校入学時に捨てたこの有島という系譜について今まで、家族に対して訊ねることも、本当に近しい人以外の他人に対して自ら語ることも避けてきたのだった。なんとなくそれは白倉の血が与えてくれる愛に背く行為に思えたからだ。幸せな離婚劇などというものは恐らく殆ど無いだろう。両親の離婚時に、祖父が多いに憤ったというのもなんとなく耳にしていた。家族から俺に有島についてを語ることも無かった。

しかし望もうが望むまいが、俺が両家の血を引いている事は事実であり、自らのルーツの半分が謎に包まれているとなれば、それに興味を抱いてしまうのもまた事実である。各々が比較的堅実な人生を送ってきた白倉家に育ちながら、中学の早い段階で音楽や創作に身を捧げようと決意した時、もう一方の血の影響を感じずにはいられなかったし、偉大な表現者であった有島武郎・森雅之両氏については、血縁になかったとしても魅力を感じさせるものがあるのは間違い無い。俺は現在までの成長の過程において折々に両氏の人生や作品について調べてきていた。ただし、俺と彼らとの関係については今更周知することも無いと思っていたし、なにより自分の作品に血の影響を指摘されること、良いものであるにせよ、悪いものであるにせよ、それは自分にとって非常に喜ばしくない事態だと感じたために、敢えてその事は伏せて行きていく事にしたのだった。

では何故此処にこれを書いているのか。

先日母と話す機会があり、もし自分のこの有島の系譜の事が広く知られるようになったらどうなのかと訊ねたところ、母は一時の躊躇いを見せながら、相手方の家に文句を言われるかも知れないけれど構わないのではないか、と答えた。そして自ら直ぐに、文句を言われる筋合いは無いわよね、と前言を否定した。その通りだ。俺は自らどうしようもなくその血を引いており、それに対して誰からも文句を言われる筋合いはない。万が一にも俺の存在が父親側にとって迷惑であるようなことはあってはならない。もしそうなのであれば、俺はそれを許すことは出来ない。父親側がどのように考えているのかそれは全く想像もつかないし、何処で何をしているのかも分からない。だが、母親に一瞬でもこのような事を言わせる要素があるのだとしたならば、やってやろうじゃないか、というのが俺の態度だ。他人の理解は必要ない。

俺は父親に会いに行ったりしない。何処にいるか分からないんじゃあ会いに行きようもないし、会いたいという気持ちも幼少時から相変わらず微塵もない。万が一遭遇した時に、俺が何を感じて何を産み出せるか、という事に関して興味はあるものの。
ただ俺は白倉と有島という二つの偉大な血の混血で、その事実を掲げた上で創作をし、表現をしていくことにしたんだ。もし俺が父親であるあなたの所にまで届くような何かを産み出すことが出来たなら、その時あなたが勝手に気付いてくれればいいんだ。ただその作品はあなたの影響は一切受けていないけれど。

俺はこの文章を怒りにまかせて書いているわけでも無いし、誰かに心配をさせたいわけでも、悲しませたいわけでもない。全くの凪ぎ状態でこれを書いている。穏やかな気持ちで、明快で壮快だ。
昨年亡くなった祖父にはこの事は伝えたくなかった。白倉の旗を守って戦争を超えて生きた祖父だ。しかし彼が亡くなり、父親も居ない俺としては、男としてこれから自分自身の旗を掲げて生きなくてはならない。これはその宣言であり、小さくても何処かに書いて、人の目に晒されておかなければならなかったものである。

俺がこれから何か一つでも後に遺す事ができるのかどうか、全てはこれからだ。
準備は出来ている。



白倉新之助