東京ミッドタウンにイメージメーカー展を観に行く。
安藤忠雄によるコンクリート建築の中に様々なイメージを喚起させる展示群。
デヴィッド・リンチの大量のリトグラフ。ゆっくり時間をかけて観た。
少し前からリトグラフには興味がある。
制限された状況には逆に自由へのチャンスがある。
それからジャン=ポール・ グードという人。
初めて知ったけれど、『フランス革命200周年記念パレード』における様々なアイディアやスケッチは、かつてのコクトー、サティ、ピカソによるバレエ『パラード』を想起させた。スケール違いの膨大なイマジネーション力。
「イメージの具現化」
アートでも文学でもなんでも、作品を作るとはそういうことなんだろう。
イメージを具体的に世界に送り出すことができないから、芸術家達は苦しみもがく。
技術とはその具現化のために必要な「道具」であり、道具を必要としないイメージメーカーも存在し得るのだろう。
ただし、元々のイメージが無い、もしくはそのスケールが小さければ、具現化されたものをどれだけ後から大きくしようとしても叶わない。
すべて人の生み出した作品は、必然的に元のイメージのミニチュアであるから。
僕の中にあるイメージは矮小化されていないだろうか。自問自答する必要がある。