次回ライブ

■次回ライブ■
2017年2月10日(金) 三軒茶屋グレープフルーツムーン
[tomorrow's planet]

出演:白倉新之助と踊る子守唄/MONGREL

open:19:00 / start:19:30 前売¥2500(D代別途)

2014年5月29日木曜日

仲間。由紀恵じゃない方の。

沢山の才能が偶然集まっている場所ってあって、それはきっと何かの必然だったりするのでしょう。

まさに僕は友部正人さんが歌うところの、はじめ僕はひとりだった、わけですが、今は素晴らしい才能を持った仲間に偶然か必然か、囲まれていると思う。

類は友を呼ぶってやつなのか、分からないけれど、これまでの人生でもこんな事はあったと思う。でもそれに気づかなかったり、なんとなく疎遠になってしまったり。

今思えば本当にもったいないことですね。

僕は今また多くの色々な種類の才能、それは音楽とか創造の才能じゃなくたっていい、何かに際立った人達と一緒に時間を過ごすチャンスをもらっていて、それがもっと大きなエネルギーになればいいと思う。

そして、その大きなうねりを作るのは、僕がやるべきことなんだろう。
誰かがやってくれるのを待つのはもうやめて、そうか、僕が自分でやるべきなんだ。

甲州街道から井の頭通りに入ったカーブを自転車で走りながら、そんなことを考えたよ今夜は。

2014年5月27日火曜日

ロック音楽

ところで、ロック音楽なんて、本当に糞みたいなもんだ。
テンプレート化された自己表現に乗っかって、どれだけデカイ音を出せるか競い合っている。

誤解を恐れずに言えば、聴く側にも問題がある。直接的なコミュニケーションをとろうとしすぎるところがある。僕からあなたへのメッセージ、それが全てならば、間に音楽の仲介は必要ないじゃない。

だから直接的なコミュニケーションを築けていることだけに陶酔するロッカーがつけあがるんだ。

大事なのは、楽器を演奏してそこに何か一つの素晴らしい音楽を創り出すこと、そしてその創り出されたものから聞き手が何かを自分なりに感じること。音楽を通じたコミュニケーションってそういうことなんじゃないかと思ってるよ。

まあ問題は、僕が目撃することになったロック音楽の音楽的要素の粗悪さが問題で、あれじゃあ音が泣いているよ。楽器も泣いている。

僕は観ていて、音楽が可哀想で可哀想で、吐き気がした。もう、笑顔を取り繕うことも出来なくなった。

ほとんど全ての音は潰されて、色彩を奪われ、奴隷のように首輪をつけられ引きずり回されていた。

あれがロック音楽のやるべきことなんだとしたら、僕はもう一切関わりたくないと思った。

僕は音楽をやりたいのであって、狂った猿みたいにモニターの上に登って歯を剥き出すことがしたいんじゃない。観ている人全員に同じ振り付けを要求して無意味な一体感を味わいたいわけじゃない。それは10代のうちにお終いにしておきなよと思う。

音楽は、危うければ危ういほど美しいものなんだ。定型から自由であればあるほど楽しいんだ。

僕はそれを一部のロック音楽から学んだ気がしていたけれど、それらはそもそもロック音楽ではなかったのかもしれない。

日本に間違ったロックとパンクロックを持ち込んだ人、いや、最初に方向を間違えた人、誰だか全然しらないけど反省して欲しい。どっかのさ、墨とか入った強面の、もうおじさんだったりするんだろうけど、しらねーよ。反省しろ。

音楽の内容は酷いけれど、人としての情熱が伝わってくる人は勿論いる。それは本当に尊敬すべき事だと思うが、何も音楽をやらなくてもいいんじゃないの、とも感じる。